国際言語学者の溝江達英です。
厄年は元来、役年と書くらしく、人の役に立つことをすれば、厄からそれこそ逃れられると言います。
こう説明した時に、
(1)こんなの言葉遊びでしょ。
(2)いやそうなんだな。感心する。
この両者に分かれます。
結局、言葉の捉え方で、行動が大きく作用されます。
フッサールの哲学にエポケーという考え方があります。英語だとSuspention of judgement と言われます。思考の中止、わかりやすくいえば、一旦、カッコに現象を入れておく。保留しておくということです。
何を言いたいのかというと、あることが起こりました。その瞬間、とても嫌な気持ちがしました。それは即時反応なので、どうしようもないのですが、その現象は、いま、そこにいる、あなたにふりかかったことですが、それを、単に、(難しいのは百も承知で)、現象をカッコに入れて、中止させます。ある意味、色のついてない現象として見るとでもいいましょうか。一度、いいことにも、いや、悪いことにもしないということです。
英語でもincidentとaccident、両方共に、降り掛かってくることを意味しますが、in-がついているincidentの方は、もともと何らかの誘発原因が起こって現象が析出してくると考える一方で、accidentは、それこそ、理由もないのに理不尽にでも降り掛かってくる災難を意味します。もちろん、accidentをカッコに入れて、中立で見ることなど人間が超越しない限りできる代物ではないのですが、それでもあえて、エポケーせよ。そして、エポケーのあとに超越的な還元ができるというのです。(難しいですけどね)
先程の厄年の解釈も、
(1)こんなの言葉あそびでしょ。
(2)いや、そうなんだな。感心する。
このどちらかに反応するのではなく、あえて、(1)と(2)の間に立つということです。判断を一度、やめてみる。エポケーしてみるということです。
そう言っている自分がそうすることが一番難しいと考えていますが、その心は、私達は、善か悪か、良いか悪いか、やるべきかそうでないか。常に即時判断が迫られている世の中にいるということです。間が無いのです。間がないと魔が差します。
瞬時に即時判断できることはかっこいいこととも言えますし、まことしやかに、成功者は迷わないという言い方もあります。ただ、本当にそうかは分からないのです。判断には整った呼吸のリズムが必要で、心拍数が上がった時に判断するよりも、呼吸に間合いを少しいれて、それでいて判断する方を薦めているのがフッサールです。
嫌なことがある。もちろん、それは嫌です。私も嫌です。ただ、そこにスキマをもたせてエポケーすることで、見え方が大きく変わることがあります。即時判断が迫られる世の中で忘れがちになる大事なことですが、難しいのはあまりに間を持たせると、その間に甘えて、行動を先送りしてしまい、チャンスを逃すのです。
ですので、即時判断が求められるのを知りながらも、少しだけ、エポケーをして、判断の精度を上げることに努めましょう。
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