先日ある著名な方と会食をさせていただく機会がありました。
その方はIT技術者向けのセミナーを数多く開催されていて、その道ではとても有名なメンターです。
私もかつて彼のセミナーに参加させていただいたことがありとても多くの学びを得ました。
特に海外発の最新技術を、誰よりも早く日本に広める伝道師として名を馳せており、多くの一流企業から引く手あまた。まさに成功者の一人です。
そんな彼と素晴らしい時間を過ごす中で、学びに関する面白い話を聞くことができました。
ぜひとも皆さんにも聞いてもらいたい内容でしたのでここでシェアしたいと思います。
学びの世界もエッジ偏重に
最近、AIやIoT界隈では、「データは生成された場所の近くで処理すべき」という考えの下、クラウドよりもエッジでの処理に注力している傾向にあります。
車の自動運転に例えるなら、エッジ処理とは車それぞれに搭載されているコンピュータや、道路上に設置されたデバイス自体でデータを処理すること。
クラウド処理とは、それらエッジで得られた情報を通信し、ネットワーク上のサーバで集約、処理することです。
これまで主流であったクラウド処理であれば、集約するためのサーバはネットワーク上にさえあればいいので、高い処理能力を持った大型のものが利用されています。
しかしその反面、データを長距離移動させなければならず、通信によるタイムラグや、コストの面で問題がありました。
その点、エッジでの処理であれば、データを移動させる手間と時間がかからないので簡単な処理であれば結果的に早く、低コストで実行することができます。
(ここらへんの話はとても奥深いのでぜひ自分で調べてみてください。いつかこのメルマガでも詳しく触れていきます)
少し専門外な話になりましたが、これは私たちのようなビジネスでも似たような傾向になってきています。
私も今、Webサイトやデータサイエンスに関してそういった方向性の施策を行っているところです。
こういった世界の流れの中で、冒頭の彼はある面白い指摘をされたのです。
「この流れは学びの世界にも同じことが言える」と。
特に組織における知識やノウハウと言った、ナレッジと呼ばれるものに対してその傾向がある、と言うのです。
私なりの言葉でまとめてみます。
これまでの組織における学びは、いわゆる集約型(クラウド型)。
新しい知識や技能は、組織の一部の人間が学んできたものを、一旦組織に吸収させ、それを全体として共有する方法が主流でした。
その方のセミナーに参加される方も組織を代表して参加する、つまりそこで学んだことを組織に持ち帰ってみんなに報告するなり、部下に教えていくのがセミナーの当たり前の使われ方でした。
よく「ナレッジの共有」や「KTする」と言われるのがこの考えですね。
組織全体で、情報を集約して運用しよう、というクラウド型の考えです。
しかし時代は変わってきています。
今のビジネスの情報量は多すぎます。
新しい技術もどんどん出てきて、学ばなければならないことも多岐にわたります。
専門的な分野もどんどん細分化され複雑化してきています。
そんな中でいちいちすべての情報を共有していては遅いのです。無駄なのです。
だったら共有することに時間を使わず、その分のリソースを個人(エッジ)を強化していく方向に使った方がいい。
つまり個人個人が限られた情報(ナレッジ)を握った状態であることを許容する。
そしてそれらの情報(ナレッジ)が必要な際はその個人を中心に対応してもらう。
全体で共有するという無駄は省いた上で、組織として情報(ナレッジ)を最大限活用する新しい組織のスタイルです。
こういった展開が、一部の組織で広まりつつある、と言うのです。
そしてそれはとてもうまくいっているようだ、と。
実際に彼のセミナーに参加される方も、組織の代表ではなく、あくまで個人として参加される方が増えているそうです。
しかしこの展開には忘れてはならない大事なことがあります。
これはエッジコンピューティングの考え方でも全く同じことが言えるのですが、その分個人(エッジ)、それぞれのつながりをより強く、早く、広くしていくことがとても大切になります。
そうして初めてクラウド型をしのぐ成果を上げることになります。
こういった考え方は、私たちのような比較的少人数のチームで行われるビジネスにとても有効になると私は感じました。
個人(エッジ)ひとりひとりが学びによってそれぞれ独自の力を最大限身に着ける。
そして同時に個人(エッジ)間の繋がりをより多く、強く、早くしていく。
IROASのスタイルとも一致するこの形がこれからの時代、成功へとつながるモデルとなるのは間違いないでしょう。
きっかけはちょっとしたトラブルから
もうひとつ、学びに関する面白い話が聞けました。
その方が開催されているセミナーはバリバリの技術者向け、超専門的な内容です。
ですから基本的に講義が中心。いまどき珍しい分厚いテキストとPCをにらめっこしながら学んでいくスタイルです。
ある時、1日で終了するセミナーを同じ会場で2日連続、それぞれ二人ずつの受講生を対象に開催した際に、面白い現象が起きたそうです。
全く同じ会場、同じメンター、同じテキスト、同じ人数、また受講者自体の元々のレベルもほぼ同じだったのにも関わらず、1日目と2日目で受講者の習熟度に大きな差が出たのです。
それはそれまで彼自身が経験したことのない、驚くべき大きな違いだったそう。
条件は全く同じなのに、なぜだろうか?とても不思議に思ったそうです。
それはちょっとしたトラブルがきっかけだったそうです。
2日目の朝、彼は以前から喉の調子が悪く、声が出にくくなってしまいました。
そこで2日目の講義はいつもは自分で読むテキストを、受講者自身に読み上げてもらう、という異例の形で講義を行うことにしたのです。
すると、予想しなかった結果が待っていました。
2日目の受講者は1日目の人に比べて比較できないほどの驚くべき習熟度を示したというのです。
もちろん、ただ人が話すテキストを聞いているより、自分で声に出して読んだ方が理解度は高まるに決まっています。
しかしその差がこれほどまでにあるのか!こんな些細なことでこんなにも学びの質は変わるのか!と心底驚いたそうです。
彼曰く、人生でもベスト3に入るほどの驚きだった、といわしめるほど、大きな気づきだったようです。
その後の彼のセミナーでは、この受講者自身にテキストを読んでもらう、という方式がデフォルトになったのは言うまでもありません。
さて、この話のキモは、学びの質というものは、ほんの些細なこと、小さな工夫ひとつで大きく変わるということ。
それは著名なメンターでも、それまで気づくことができないくらいのほんの些細な変化かもしれない、ということです。
以前「学びマネジメント」という話をしましたが、そういった工夫や、変化があなたの学びを大きく変えることはこれまでにも伝えています。
さて、みなさんはどうでしょうか?自分なりに工夫して学びを得ているでしょうか?
「何を学ぶか?」
そして、
「どう学ぶか?」
ぜひあなたも追求していってください。
*
些細なことですがとても印象に残った2つの気づきでした。
あなたの学びを進化させるヒントになれば幸いです。
You
COMMENT ON FACEBOOK