国際言語学者の溝江達英です。
もう会社という箱がなくなる日が目に見えています。英語ではBox life と揶揄されたりしますが、事実、今でも、家というBOX 電車というBOX 会社というBOXを何の変哲もなく単調に往復して生きる人が多いです。安定・固定を本能レベルでは安心に転換するわけですが、安定・安心への依存は成長を止めることも分かっています。しかも安定・固定への慣れが自然界の摂理に反するとも言うのです。海も天気も毎日が穏やか続きではないように、どこかで必ず波乱があるのです。安定の非連続こそが、自然界の掟なのです。自然とは実に不安定で固定されないものです。自然界に生きる人間もまた不安定な存在であること、そしてその方が人間らしいと認めること自体に、世界が追いついてきたニュースが飛び込んで来たのでシェアしたいと思います。
先日、偶然、世界一のタバコメーカーのフィリップ・モリスの働き方改革の番組を見ました。もう、会社=デスクの位置が決まってるという概念自体が古いという話(=フリーアドレス時代到来)とたばこ会社が禁煙を推奨する時代という話が印象的でした。通底している世界観は固定もタバコも究極のところ自然の摂理に反しているということです。自然の摂理に反するものは今後、淘汰されていくわけです。
フリーアドレスとは辞書的定義だと
「フリーアドレス」とは、職場で社員一人ひとりに固定した席を割り当てず、在社している社員が仕事の状況に応じて空いている席やオープンスペースを自由に使うオフィス形態、あるいはそうした制度を活用して柔軟かつ効率的に業務を進めるワークスタイルをいいます。
仕事をする場所を固定しないことで、隣にいる人が変わり、意図しない生産的な交流が生まれるといいます。そうすることで毎日が新しいものになってくるというのです。もちろん、社員が私物をデスク周りに溜め込むこともできなくなるので、社内は綺麗な環境になり、移転ということが起きる場合でも、スムーズに場所替えができるメリットがあります。それよりも何よりも、今までは、同じ部署にいる限り同じ人としか話せなかったのが、違う部署の人が隣にいることで、縦割りの仕事を横でクロスすることができ、アイディアが狭視眼的なものになりにくくなるというのです。
アイディアは移動距離に比例するという名言があるように、動く人にはアイディアが湧くといいます。行動を活発にして、異種のものにどんどん接していくと、脳内のヒラメキの導火線に着火が起きるのです。
私が多言語をやっている理由も根源的にはことばを変えることでいろんな世界を移動し、各言語で形成されるヒラメキの導火線を連射花火のようにドカンドカンと着火できる快感があるからだと思います。持てる言葉が増える分だけ、ヒラメキを着火させる花火も増えるからです。
会社=固定という概念が崩壊することは、そもそも固定されることが自然界の摂理に反するにも関わらず、無理くり縛り付けてきたからこそ、崩壊の一途を辿っていると考えていいでしょう。固定は自然摂理に反するというメタファーは結婚を縛りに感じる人は同じなぞらえ方をするでしょう。
会社神話の崩壊は神田昌典先生もしかり、未来予測をしている先生方は口を揃えて会社という箱がなくなることを明言しています。旧式の固定型の会社という箱がなくなると同時に今後、なくなる職業というものも出てきます。
場所を固定してしまうことが窮屈と感じられる職種は今後、人気が出ないだろうと予測されます。オフィスに行かなくても仕事ができる時代にわざわざオフィスへの出勤要請がある仕事と、自由度が高い仕事と、両方を天秤にかけた時に、自由度の高い職種を選ぶ人が増えるだろうと予測されるからです。
日本人は定時に働き、マニュアル通りに外さずにやることが美徳とされました。終身雇用で、一度就職した会社を辞めずに勤め上げることがこれまた美徳とされてきました。レールからはみ出さないこと、大多数がすることこそが常識で正しいこととされてきたのです。
ただ時代は確実に変わっています。会社は自由な働き方を許し、副業も許す動きになっています。昔はドル・円だけだった考え方も仮想通貨が貨幣経済の常識を覆してきています。
こうなってくると、いろんな分野でマルチ化が起こります。
働き方もマルチに自由に(居住の複数化、フリーアドレス化)
収入源も副業をしてマルチに
お金も複数に(法定通貨を複数持ったり、仮想通貨の銘柄を複数持ったり)
こうして今まで一つだと信じられてきたものがどんどん複数化してくると言語の複数化は武器になります。
そもそも、なんでも一本化する動きは固定化の動きなので自然に反し、ストレスが多大にかかり、反発し弾けてしまうのです。
英語の歴史を見ればそうです。オグデン・リチャードという二人の学者が世界の言語を英語に一本化しようと世界言語としての英語をベーシック・イングリッシュという名で提唱しましたが、世界で使われるまでには至りませんでした。エスペラント語もしかり、ポーランドの医師、ザメンホフは世界共通語の夢を叶えようと、言語の一本化を目指しましたが、一本化を目指そうとすればするほど安定を崩そうとする抵抗勢力の動きが出てきて一本化はかないませんでした。むしろ、それでこそ自然なのです。
世の中がフリーアドレスの働きを許すのはこれまた自然の摂理に叶った動きだと思うのです。人は縛りを嫌い、新鮮な空気を吸いたがる動物です。固定は窒息の元凶です。語学学習も同じで、英語だけの一本化は行き詰まり、それこそ、モジりで書けば、【息】詰まりをおこし窒息してしまうのです。何かを無理くりでもやり遂げ、固定させる美徳はもう一昔前のものになりつつあります。(もちろん、一つを成し遂げる美徳は否定はしていません。それはそれで美しいと思っています。)ただ、選択肢の多い現代では自分の好きなことを、我慢せず、目一杯やったらいいと思うのです。それができる世の中なのですから。本来、人間は固定を嫌い、雑食でいろんなものを試したいはずなのですから、器用貧乏という批判を恐れず、中途半端で構わないので、まずは片っ端からやりたいことをつまみ食いレベルでいいので、やってみることをオススメします。それが自然に逆らわない生き方だと強く思うからです。
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